何者にもならない小市民

読んだ本とか漫画の感想やメモ

読書感想文に苦労する話

まあなんか記事を書きたくなったんですが、感想を書くのが苦手なので残念ながら今は感想記事を書けません。そもそも今のところ題材とする本がないという状態。連城三紀彦レジェンド2と満願を並行して読んでおります。読み終わらない。

というわけで、何がというわけでかわかりませんが、雑談記事でも書きます。読書感想文についてだらだらと。

 

 

 

小学生の頃は読書感想文を書くのが苦手でした。

まあ今でもかなり苦手ですが。それに日本語もたぶんおかしい。でも少なくとも自発的に感想ブログをやろうと思い立つぐらいには苦手意識はなくなりました。

 

小学生の読書感想文といったら原稿用紙2枚分ぐらい、文字にして800字といったところだったでしょうか。1/3ぐらいであらすじ、残りで感想を書くのが一般的なようなのでそれにならって書くことにしました。

 

で、あらすじはなんとか書くわけですが、感想パートに入ったとたん鉛筆がぴくりとも動かないわけです。何を書いたらいいかまったくわからない。読み終わったときの感情を書こうとしたら何を読んでも「すごくおもしろかった」の一言で終わってしまう。「どの部分が何で面白かったのか書きなさい」と言われたら「全部が」としか言えない。「じゃあ全体的な感想を書きなさい」と言われたら言葉が出ない。そんな状態です。

当時それなりにクラスの中で勉強ができる方だった私はたいていの課題をさっさと終わらせてほかの生徒を尻目にノートを先生に見せに行くことを密かに自慢に思っていたのですが、読書感想文だけはそれができず、ぐぬぬぬぬぬ感想文なんか嫌いだーとなっていました。

 

 

中学では読書感想文という課題はなくなり、かわりに読書感想ノートというものを渡されました。1学期間に5冊本を読み、それぞれあらすじを5行、心に残った一文を1行、感想を5行で書くという簡単なものでした。

そこらあたりから私は感想を書くのにあんまりちゃんと考えなくてもいいのではないかと思うようになりました。本の全体的な面白さなんて考える必要はなくて、だって5行で書けるはずないですし、ただ本を読み終わって閉じたときにパッと思い出せた一文を選んで、それについてだけ思ったことをどんどん膨らまして書けばなんとか感想文の体になるということがわかったわけです。

小学校のときは読んだことがない人にちゃんと魅力が伝わるようにあらすじを書き自分が感じたことすべてを過不足無く文字に起こすのが感想文だと思っていました。いや実際そうなんですが、それは私には書けないのです。

 

思い出しやすい一文だけ焦点を当ててそこからどんどん話を脱線させて良いんだ!

そんな感じで感想文への苦手意識が少し減った中学時代でした。

 

 

そして、最近Twitterを使うようになってますます私の苦手意識は小さくなっていきました。だってTwitterにあふれるオタクたちの感想ツイートは「○○の△△が尊い……ほんま尊い……」とか良かったところをただ箇条書きにして「みんなも見て!」みたいな感じなんです。でもそんな感想ともいえないような感想ツイートでもちゃんと魅力が伝わってきます。長い言葉も全体的な感想もいらないんですね。ただ好きなところを尊いと書くだけ。感想文てこんなに自由でテキトーでもちゃんと魅力が伝わるんだと気づきました。

こんなんでいいなら私でも書けそう!と思ってこの感想ブログを始めることにしたわけです。

 

で、実際書いてみるとなんかやっぱりしっくりこない。Twitterの彼らのように端的に魅力を伝える文章が書けない。ひどい駄文が並びます。落ち込みますね。

 

まあでも、すこしずついい感想文が書けるようになっていくと信じます。おしまい。オチはないです。

 

こういう頭に浮かんだことをそのまま書いて、締めが何にも無いというのが駄目なところなんでしょうねきっと。まあいいか。