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『ルカの方舟』感想

私たちの惑星と太陽系は、宇宙の深奥という新たな大海に囲まれている。しかし、かつて地球の大海がそうであったように、それは渡れない海ではない。

ルカの方舟 (講談社文庫)

ルカの方舟 (講談社文庫)

  • 作者:伊与原 新
  • 発売日: 2015/10/15
  • メディア: 文庫
 

またしてもお久しぶりです。新型コロナウイルスで外に出れないなか、皆様いかがお過ごしでしょうか。私はゲーム三昧です。本を読め。

ゲームもやり過ぎたしそろそろ積読を崩すかということで、今回は伊与原新を読みました。

この方、作家としては珍しくバリバリのアカデミック出身です。地球惑星物理学を専攻し、東大の博士課程を修了してから作家になっています。

この『ルカの方舟』は、そんな伊与原新の科学的専門性が存分に活かされたミステリ小説。といっても専門外の人にもとても分かりやすく説明がなされるので難しく考える必要はありません。火星隕石から発見された生命の痕跡を巡って起きた殺人事件を解き明かします。

謎の軸となる生命の起源に関する仮説は実際に今も議論の続く仮説で、本物の科学研究とリンクしているという事実がよりこの作品のリアリティを高めてくれます。

 

 

あらすじ

「火星から降ってきた隕石に生命の痕跡が見つかった」

そう述べた論文が『ネイチャー』に載り一躍時の人となった帝都工科大学の研究者、笠見教授。彼はインタビューに対して意味深なコメントを残す。

実は、目下分析中の生命痕跡がもう一つあるんです。とっておきの決定的な証拠がね。近々発表できると思いますから、楽しみにしていてください

ところが翌週、インタビューをした記者と大学に対して不審なメールが届く。

<帝都工科大学 笠見研究室のFFPの件>

邪悪な者たちが、聖ルカの方舟の由緒を穢している。悪を行うものは、神の怒りに触れて、まさしく断ち滅ぼされるであろう

FFPとは科学研究における不正のこと。捏造、改竄、盗用の頭文字をとっている。火星隕石の研究には不正があった??メールを読んだ記者が研究室に駆けつけたところ、笠見教授は死んでいた。さらに、問題の隕石はなんと融かされて方舟の形に加工されていた……

 

 

 さて、この小説の軸となっているのは「地球の生命の起源はいつ、どこで?」という問題に対する一つの仮説、「パンスペルミア」です。「生命やその種子は宇宙のいたるところに存在していて、星から星へと宇宙空間を移動している」という考え方。つまり、地球の最初の生命は35億年前に宇宙から隕石とかに乗って地球にやってきたということです。そんなバカな、出来の悪いSF小説かよ、と思うところですが、実は近年の宇宙研究の分野では以外と否定しきれない説らしいてす。

 最近の研究でわかってきたのは、昔の地球はむしろ生命が誕生しづらい環境で、逆に火星の方が良い環境がそろっていたこと。地球に突入する隕石の内部はそこまで高音にならず、生命が生き延びられる可能性があること。実際、隕石のいくつかから地球外で出来たアミノ酸や糖が発見されたこともあるそうです。いかにも馬鹿馬鹿しいパンスペルミア説ですが、最新の研究でむしろ説得力が上がっているのは面白いですね。で、その生命が乗ってきた隕石のことを聖書に喩えて「方舟」と呼ぶわけです。ここまではフィクションではなくて事実。

 

殺人事件とともに文字通り「方舟」の形に姿を変えられてしまった隕石には本当に生命の痕跡があったのか?笠見教授の研究に本当に不正があったのか?この2つの大きな謎に迫る中で見えてくるのはアカデミックの世界の過酷な現実です。

創作童話「博士が100人いるむら」ーー何これ?

<100人のはくしがうまれたら、16人がむしょくです>

<100人のはくしがうまれたら、8人がゆくえふめいかしぼうしています>

たまに社会問題としてニュースにも取り上げられていますが、研究の道で食べていくことは厳しいです。頑張って論文書いても、頑張って教授の手伝いをしても、その後教授になって大学からお金もらって研究を続けられるのはほんの一握り。研究の道を諦めざるをえなかった人は就職もなかなかできずに鬱になったり消えていったりしていきます。結果として博士がやることは質の低い論文でもとにかく量産して実績をつくること。以前に書いた論文と内容が被っていても、恣意的なデータ分析をしていてもとにかく雑誌に投稿する。こうしてレベルの低い雑誌に質の低い論文がどんどん垂れ流されていき、誰にも読まれず、科学の世界に一歩も刻まないまま論文も忘れられていくのです。

 私自身は修士課程を終えて就職した人間で、そこまでアカデミックの世界に深入りしていないんですが、それでもこの小説に書かれているこれらの問題は本当に肌身で感じたことでした。20年間ずっと同じような論文を出し続ける人もいましたし、読んでみたマイナーな論文の統計分析がぐちゃぐちゃだったりもします。怪しいデータの取り方してる人も身近にいました。正直言って生データにちょっと手加えても誰も気づけませんからね。教授は教授で論文執筆や実験よりも予算申請書を埋めることに時間を取られています。

 

 科学界隈の光の部分たるロマンに満ちたパンスペルミア説と、影の部分たる研究不正。どちらも紛う事なき現実であるという点がこの小説をリアリティに溢れた上質なミステリかつSF小説にしています。理系作家の伊与原新だからこそ書けたものだと思います。伏線の張り方も犯人当てのロジックも動機も見事でした。

 皆さんもぜひ、読んでください。自信を持ってオススメできる小説です

 

 ちなみに、とりあえず軽く伊与原新に触れてみたいという方には『リケジョ!』をオススメします。貧乏大学院生の律とカガクに憧れる小学生の理緒が身の回りに起きる不思議を解き明かす連作短編ミステリです。日常の謎ってやつです。表紙がかわいい。

リケジョ! (角川文庫)

リケジョ! (角川文庫)

 

 

そんな感じ。ではまた。