『天気の子』感想
人間歳とるとさあ、大事なものの順番を、入れ替えられなくなるんだよな。
お久しぶりです。またしばらくブログをサボってしまいましたね。
年末になりましてようやくブログを書く時間ができましたのでまとめて書いていこうかなーと思っています。
で、観てきました『天気の子』。え、今さら?とか言わないで。私もまだ劇場公開していることに驚いた。
館内にカップルはもはやいない。冬休みに入った女子中学生とか、週末見に行く時間が無くてようやく年末に時間ができたサラリーマンぽい人とかが多かったですね。私もその一人ですが。
あとなんか挙動不審なオジサンがいました。ずっと座らずにウロチョロしてるのでチケット買わずにトイレに隠れててこっそり入ってきたんじゃないかと思いました。
まあそれはいいとして、本編について。
やっぱり映像は美しいですね。
雨がやまず陰鬱な空。暗い東京に光るチープな風俗広告。冷たい人間と冷たいコンクリート。そしてたまに雲間から降りてくる天使の階段。
美しい水滴と汚い水、人工的で安っぽい光と柔らかくも力強い太陽光。光の表現は新海誠監督らしさが出ていました。
誰かが言っていましたが、人工的な風景を美しく描くことにかけては新海誠監督はやっぱりトップ級ですね。
ストーリーについて。
まあいろんな人が言ってますが、確かにこれはエロゲっぽい。(いやエロゲほとんどやったことありませんけど!ホントですよ!)
ゼロ年代の、セカイと彼女の二者択一を迫る世界観。そんな事情も知らず生きる大人と、事情を知ったうえで世界のために彼女を差し出せばええやんという大人。怪しげなお爺さんが話す与太話が実は真実。
当時オタクに流行った要素をふんだんに盛り込んで、オタクだけでなく一般のカップルにもその切なさを楽しんでもらおうじゃないか!という意図を感じました。
特に拳銃というアイテムはいかにも選択式ルート分岐型ゲームに出てきそうな感じがしますよね。
あれを握りしめて大人に向かって突きつけるということこそが、大人が求める(そして実際正しい)「あるべき世界」よりも彼女を優先するという後戻りできない分岐点の象徴です。
ただの家出少年が大きな物語を背負う主人公になってしまう理由付けとしてこれほど陳腐で最高なアイテムはありません。そうそう、こういうので良いんだよこういうので。(孤独のグルメ風に)
『天気の子』の素晴らしい点は、「実はセカイと彼女の二者択一ではない」という結論を大人が出すところだと思います。
過去から今までずっと、人間は雨を願って呪いをし、晴れを願って人柱を捧げ、石炭を燃やして地球を暖め、海を埋め立て土地を造ってきました。そういう選択の積み重ねが今の「正しいセカイ」をつくってきたのだから、少年が選んだ「雨がやまなくてもいいから彼女を離さない」という選択もそのひとつに過ぎず、それによって生まれたこの水没した日本もまた「正しいセカイ」なのです。
実際にほら、水没した東京では舟が新しい交通手段になり、水に散った桜を観る新しい花見がうまれ、人々はどうとでも明るく生きていきます。
誰だっていつも選択を迫られてるし、どういう選択をしても少しずつ世界を変えます。正しい世界なんてありはしないんそれで良いんです。
だから何を選んでも負い目に感じる必要はない!自分が大切に感じるものを手放さないこと!
そういう精神でいきたいですね。
ちょっと短いですけど、そんな感じ。