何者にもならない小市民

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『満願』 感想

こんな日は交番が禁煙になったことが無性に恨めしい。デスクの上には地図とファイルと電話が並ぶだけで、ずいぶん前に灰皿はなくなった。そしていまは写真入りの茶封筒が置かれている。 

 

満願 (新潮文庫)

満願 (新潮文庫)

 

 『満願』 米澤穂信  ※途中からネタバレあり

 

米澤穂信の大ファンなのであります。中学生の時に丸善でふと『春期限定いちごタルト事件』を手に取ってどっぷりハマったことをきっかけに、かれこれ10年以上米澤穂信と名のつく本は相当買いあさっております。古典部シリーズはいつか傑作アニメになると信じていたら本当にアニメ化が決まりどひゃーっとなった時のことをよく覚えております。

 

語尾がおかしくなるくらいには大ファンということです。文庫になった著作はだいたい全部買っているんじゃないでしょうか。他に著作を全部買っているのは相沢沙呼ぐらいなものです。

で、今回も買ってきたというわけです。読んだのはもう1ヶ月ぐらい前だと思いますが面倒くさがって感想を書いていなかったので……

 

 

本作は表題作を含む6編の短編ミステリ。「夜警」「死人宿」「柘榴」「万灯」「関守」「満願」です。

いずれも探偵が犯人を特定していくものではなく、ふとした違和感について考えが進むうちにだんだんゾクゾクしてくるものですね。

 

じっとりとした陰鬱な雰囲気が全編にわたって共通していて、常に背中にいやな汗のようなものを感じながら読み進めていきました。最近の米澤穂信はこういうものを書くのが楽しくてたまらないんでしょうねきっと。どこがというわけではなく常に嫌な予感を覚えさせる文章。凄い。

 

ここから先はネタバレを含む各短編の感想です。

 

「夜警」

新米巡査の川藤が嫉妬で気が狂い刃物をもって斬りかかってきた老人に発砲するも刺され殉職した事件。巡査部長の柳岡は当時を振り返って数々の違和感に気づく。

 

小心者の私としてはかなりドキッとしました。しょうもないことで怒られるのをごまかすことに必死になってやっていいことの区別もつかなくなるという経験、私はまだ無いですが、しかしいつかやってしまいそうな気もします。

 

「死人宿」

「私」は山奥の自殺の名所にほど近い通称「死人宿」の女将をしている佐和子とともに遺書の持ち主を推理していく。

 

本作の中で唯一読者と主人公が同じペースで推理を積み重ねていける話ですね。なので純粋な推理ゲームとしても楽しめます。結構本気で考えたんですが全然気づけませんでした。

最後、他人の声に耳を傾け手を貸すことができるようになったと自負した瞬間にそれを打ち砕く真相が厳しい。「誰にも、どうにもできなかったのよ」という慰めがさらにつらい。

 

「柘榴」

容姿端麗な女性さおりとあらゆる女性を魅了する佐原成海、そしてその2人の娘夕子と月子の話。

 

これは最後の数行にやられました。ここまで考えて冷酷に実行できる中学生がいたら怖すぎますよ。(私が中学生の時は学校帰りのコンビニで62円のガリガリ君を買うかちょっと奮発して98円のクランキーを買うかでアイスコーナーで一生悩んでいた時期だったのに……)

まあとにかく最後の一行のインパクトが凄かったですね。これに尽きます。

 

「万灯」

天然ガスの採掘にあたって、伊丹はバングラデシュのボイシャク村に中継拠点をつくるための交渉に向かう。しかし村の有力者の一人、アラムの強硬な反対があり……

 

「夜警」とは逆に使命感に突き動かされて一線を越えてしまう話ですね。まあしかし夜警といいこれといい米澤穂信はどうしてこんなに現実味のある描写ができるのでしょうか?取材だけでバングラデシュの事情も商社マンの生き方も警察官の仕事ぶりもこんなにリアルに書けるのが不思議で仕方ないです。まあ私は商社マンでも警察官でもないので本当にリアルなのかは知りようもありませんが。

夜警のような臆病な話は共感できるので好きですが、こっちのような「使命を積み重ねていたはずなのに気づいたら後戻りできないところにいた」話も大好きです。共感はしませんが。いや実は共感しているのかな。わかりませんが、無性に好き。

 

「関守」

ライターの「俺」は先輩にもらったネタをもとに4年で4件の転落事故が起きた桂谷峠の取材に赴き、ドライブインの喫茶店でばあさんに話を聞きこんでいく……

 

ほぼ主人公とばあさんの会話だけで進むのが特徴的ですね。ばあさんの微妙に要領を得ないような話を聞きあれこれ考えつつ読み進めていたらもう手遅れになっていたというのが驚き。これも最後の一行の怖ろしさが凄いですねえ。こんな死に方嫌。

 

「満願」

「私」は法学部の学生時代に下宿で世話になった鵜川妙子の殺人の裁判で弁護を務めた。被害者は借金の取り立てに来ていた男。焦点は計画的な犯行だったかとなる。妙子のために懸命に弁護した「私」だが、後になって違和感を覚える。

 

これもまた昭和の空気を感じさせるうまい文章です。米澤穂信の文体は変幻自在。

あまり明示的に語られてはいないものの学生の「私」が妙子さんにメロメロなのがかわいい。米澤作品の語り部は語り手なのに自分の心情を素直に言わないことが多い気がします。古典部シリーズの奉太郎とか小市民シリーズの小鳩くんなんかも実は傍目にはわかりやすい男の子だったりしているんでしょうか。語り手としてはクール気取ってるのにね。

最後に人間の執念のようなものを感じさせる話でした。「万灯」では使命感が強すぎるあまり道を踏み外したことを後悔する描写がありましたが、こちらでは彼女にはなんの後悔もなく、まるで「私」にスイカやおにぎりをふるまって助けるのと同じように殺人をしていたということですよね。さすがに言い過ぎかな。

彼女がそういう人だとすると、「私」が受けた数々の親切な行いの意味も変わってきますね。親切心以上に親切ともいえますが、これを親切と言えるのかどうか……「柘榴」っぽくいえば「藤井さんは私のトロフィーなのだ」という感じでしょうか。

 

 

全体を通してぞくぞくしながら楽しんだ作品でした。どの短編も完成度が高く、文体も雰囲気を感じさせます。各所で絶賛されるのも頷ける素晴らしい1冊でした。

 

 

余談ですが相沢沙呼も面白いです。『ココロ・ファインダ』が好き。カメラ好きな4人の女子高生たちの話です。高校生特有の心情の揺れ動きの描写も素敵だし、シャッターを切る瞬間の切実な魅力をとても綺麗に表現しているところも好きです。

ココロ・ファインダ (光文社文庫)

ココロ・ファインダ (光文社文庫)